● ‟3密” と無縁の ‟疎” に憩う
二地域居住の私がいわしろに来たのは2020年10月なので、はや1年8か月が過ぎ、2回目の夏を迎えています。この間、新型コロナ感染拡大の波が来ては去り来ては去り…の連続でした。ずっとマスク着用の生活で、当地では素顔を知らない方がほとんどです。そして今、夏の訪れとともにまたコロナの第7波が到来しています。この波はいったいいつまで続くのでしょうね…。


ずっとコロナ禍とはいえ、ありがたいこともありました。この1年半あまり、公民館での講演、地元高校での授業、ピアノ発表会の司会、移住検討者の地域案内、町内清掃、英語モニターツアー、ご近所での英会話サロン、転入外国人の方々の通訳、日本語教室ボランティア…などなど、公私にわたってお声かけいただき、貴重な体験をさせていただいたのです。私よりはるかに高齢の方、はるかに若い方、代々この地に根づいて暮らしておられる方、さまざまな事情で遠い国から来られた方など、二本松に来なければお会いすることはなかったたくさんの方々と接することができました。
それによって感じること、考えることはたくさんありました。ここで自分に何ができるのかできないのか、真剣に自問せざるをえない場面にも幾度か遭遇しました。




良くも悪くも、‟何かのお鉢が回ってくる” あるいは ‟出番がくる” こと(たとえば地域での役職とかボランティアとか)は、人口が少ない田舎のほうが都会よりも圧倒的に多いのでしょう。冠婚葬祭などの営みは昔より簡素化されているとはいえ、個人の余暇を無償で捧げなくてはならないこともあるわけで、それが田舎生活の大変さ・煩わしさにもなっています。喩えは不謹慎ですが、都会と田舎の ‟1票の格差” の逆バージョンみたいに思えます。
ともあれ、顔の見える濃い関係性のなかで、住民同士が力を出し合って成り立っているのが中山間地域の暮らしなのだと実感します。「隣は何をする人ぞ」や「私には関係ない」では具合が悪いのです。このように密な関係性は、田舎生活の魅力でもあり難点でもあるのでしょう。


正直、自分の身の振り方にとどまらず、世界情勢や経済の急速な悪化など憂いは重層化するばかりで、心休まる間もありません。でも、田舎のいいところは、そういった思念や煩わしさと少しの距離を置くために、「空の下で独りになれる」ところかな…と私はよく思います。人との関係はかなり ‟密” ですが、人の配置はきわめて ‟疎” なのが田舎なので。


私がこれまで住んでいた街々には、独りっきりになれるところはそれほどありませんでした。公園や遊歩道で「おぉ、独り占め?!」と一瞬よろこんでも、少したつと必ず誰かが通りかかるような環境でした。
なので、今回お見せしている画像は、ここで私が見つけたとっておきの場所。めったに人が来ないので、誰の邪魔をしたりもされたりもせず、「空の下で独り」何時間でも過ごせる場所です。
有毒な虫や危険な動物には要注意ですが、山のほうに行っても水辺に行っても疎! 3つの密を避けなくてはならないパンデミックの状況下で、密の心配が一切ありません!


沈黙して…あるいはモバイルの音楽とともに。飲み物や本やノートをたずさえて。この1年と8か月、私はこんな場所で遊びくつろいでいました。秘密の場所ではないけれど、この先何度も訪ねるであろう、だいじな場所です。

